柳井正~考えるよりも行動する。人と違うことを選び抜いた人生~

柳井正さんは、カジュアル衣料品の製造販売を行っている「ユニクロ」を運営しているファーストリテイリングの代表取締役です。2001年からソフトバンクグループの社外取締役となっていましたが、2019年に退任して、現在の立場に就任しています。
日本最大の資産家とも呼び声高い柳井正さんは、どのような人生を送ってきたのでしょうか?

商売勘定に反発心を持っていた幼少期

柳井正さんが生まれたのは、山口県宇部市です。
柳井正さんの父は、彼が生まれた年に兄が代表を務める会社の繊維・洋服部門を任され、メンズショップ小郡商事という会社を立ちあげています。これは、後のファーストリテイリングの前身となる企業です。

父親が商売をやっていたこともあり、普段から商売と日常生活が密着した環境で育ちました。
父の口癖は、「お金がないのは首がないのと同じ」。

商売人としてお金で価値を判断するのはどうしようもないことですが、このような考え方に反発を抱くこともあったようです。

無気力な学生時代だった

柳井正さんの学生時代は、現在の社長の姿からは想像もできないほど、無気力なものでした。
特に夢はなく、大学の授業を真面目に受けず、麻雀やパチンコで時間を潰していたようです。

そして、就職活動も行わない姿を心配した父親が心配して進めてきたジャスコに入社しました。
しかし、どうしても働く意欲が湧かずに半年で退社。

特にやることがなかったため、実家に戻って父の事業を手伝うことになります。

ただがむしゃらに働いた20代。

実家のしがない紳士服店は、それまで働いていたジャスコとは大きく違うものでした。
効率の悪さに口を出していると、従業員はほとんどやめていってしまった。

このことをきっかけに、全ての業務を自分でやらないといけなくなった柳井正さんは、初めて商売の楽しさを学びます。
当時20代だった柳井正さんは、ただがむしゃらに働きながら、少しずつ事業を成長させていきました。

お金のためではなく長く続けられることを徹底して行う

柳井正さんがユニクロを立ちあげた時、せいぜい30店舗が限度だと考えていたようです。
しかし、現在は日本で知らない人は誰もいないほどの大企業となっています。

このようになれたのは、柳井正さんが会社が潰れないように、長く続けられること一貫して行うことを徹底してきたからと言えます。
お金のことを見るのではなく、信用を獲得する方法を選択する。人がやらないことをやる。

こんなビジネスにおいて当然のような姿勢が、現在のユニクロに繋がっています。

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