芳井敬一さんは、2017年から大和ハウス工業の代表取締役社長を務めている方です。
1990年に大和ハウスに入社し、そこから会社を任されるまでに地位を高めていったことで知られています。
では、芳井敬一さんはこれまでどのような人生を送ってきたのでしょうか?
ラグビーで培った「やり遂げる精神」
芳井敬一さんは、高校時代にラグビー部を始めて、社会人チームにも入部しています。
ラグビーは1人ではできないスポーツで、チームのために、誰かのために自分が動くという自己犠牲精神が重要となる競技です。
芳井敬一さんは能力が高い選手と一緒に競技を続ける中で、自分の役割をやり遂げる精神を身につけたと語っています。
さまざまな立場を経験して代表取締役へ
芳井敬一さんが大和ハウス工業に入社したのは、1990年です。転職によって入社した後、代表取締役になる2017年までさまざまな立場を経験しています。
その中では、国内の支店長等だけではなく、海外事業部の副事業部長を務めたこともありました。
このようにさまざまな立場から、顧客や企業を見てきたことによって、今の大和ハウス工業に必要なものを見る力をつけており、現在の代表取締役という立場に登り詰めたのだと考えられます。
すぐに建てられる住宅作りを考える
大和ハウス工業の創業者は、石橋信夫さんという方です。
この方は戦争中にシベリアの強制所で過酷な生活を送ったという経験がありました。
そのことから、どんな時でもすぐに建てられる住宅を作りたいという思いから、プレハブ住宅を作る大和ハウス工業が作られました。
この思いは代表取締役が芳井敬一さんにも語り継がれており、できるだけ工期を短縮して家を建てることができる仕組み作りに注力しています。
芳井敬一さんはプレハブ建築協会の新たな会長に就任したこともあり、今後もそのような事業を発展させていくのだと考えられます。
施工現場の8割以上の無人化を目指す
現在、芳井敬一さんが率いる大和ハウス工業では、若い社員からのアイディアを採用し、AIやロボットによる施工現場の無人化を目指しています。
近年の建設業界では人手不足が深刻化しており、現在の状況が続けば今後大和ハウス工業の事業自体が厳しいものとなったり、費用が高額になってしまう可能性があります。
それを避けるためのプロジェクトがすでに始まっているのです。これは建設業界における新たな改革だと言えるでしょう。
まとめ
大和ハウス工業の軸となる「誰もが心地よく住める街づくり」と、現在の建設業界の問題を解決するための「柔軟な思考と新たな技術の活用」というこの2本軸で進み続ける芳井敬一さん。
今後の大和ハウス工業がどのように発展していくのかに期待が高まります。