三木谷浩史さんは、インターネット分野において世界トップ10にランクインする企業である「楽天グループ」を、約15年で築き上げた今注目の起業家です。
日本の産業分野を大きく変えるための経済団体を発足したり、活発な政策提言を行ったりと、その言動に注目している方も多くいるようです。
では、三木谷浩史さんがこのような起業家になるまでには、どんな歴史があったのでしょうか?
自分で考えるクセがついたアメリカ渡米
三木谷浩史さんは、1965年に神戸市で生まれました。
彼が7歳になる時、父親がイエール大学の研究員に就任したことによって、家族で渡米することになります。
ここから2年間ほど、三木谷浩史さんはアメリカで過ごすことになります。
日本とは異なる環境で過ごす中で、何をするにしても自分が納得するまで考えて行うという性格になったと、後に三木谷浩史さんは語っています。
留学したことによって起業への気持ちが高まる
元々三木谷浩史さんに起業という意識は全くなく、大学卒業後も何の疑問を持つことなく銀行に入社しています。
そんな三木谷浩史さんに転機が訪れたのは、社会人時代にハーバード大学に留学したことです。
そこにいる方の考え方に刺激を受けることによって、「ゼロからビジネスを興す人」に価値を感じるようになっていきます。
帰国して起こった大地震が起業のきっかけに
三木谷浩史さんが帰国をして2年後、故郷の神戸が阪神・淡路大震災に襲われて焼け野原に。
この時に、幼少期から大好きだった叔父と叔母を亡くしています。
この時、人生は短いのに躊躇しているわけにはいかないと吹っ切れて、起業の決断に至りました。
そうして立ちあげられたのが、現在の楽天グループの前身となる株式会社エム・ディー・エムです。
確実に訪れる終わりを理解して踏み出したからこそ、その足が止まることは全くありませんでした。
将来の起業家のために働き続ける
楽天グループは、創業してから15年で世界を代表する企業へと成長しました。
しかし、三木谷浩史さんの理想はそこで止まることなく、現在は日本のガラパゴス化を止めるために働き続けています。
この根底にあるのは、三木谷浩史さんの「世の中を動かすのは起業家」という信念です。
起業家がリスクを追ってもチャレンジしやすい世界を三木谷浩史さんが作ってくれた暁には、日本にももっとも面白い価値を提供する起業家が多く登場してくることでしょう。